「銀ちゃん、結婚しようか」
運ばれてきたメロンソーダのバニラアイスを切り崩しながら食べていく太宰は無邪気そのもので、その言葉には何の意味も真意もないのだ。
それでも思わず零れた笑みを、俯きがちな面差しで隠しながら、小さく首を振った。
「……ご冗談を」
結婚する心算など毛頭ない太宰はへらりと笑った。
銀のもとにホットココアが運ばれる。外で雪が降っているのに、このカフェの中では皆が頬を染めていた。温かすぎる空気が二人を殺す。人間のぬくもりが、温かみがひとを殺す。
「君に指輪は似合わないものね」
チョーカーをなぞる指は冷たい、それを個性と言うならばこのひとは落ちたものだ。
けれどこの男は自分の指先が冷たいことに、自分だけが気付いていない。
「でもちゃんと好きだよ」
バニラアイスと氷がぶつかって、穢く、液体が混ざりあった。
*
銀を、そして兄を支配していたのはたぶんマフィアの首領という、鬼のような存在ではなく、敢えて言うなら修羅、悪魔、そうして孤独の白い怪物、太宰だったのだろう。
孤独を愛していないのに、自ら孤独を選択したひと。愚かでありながら優しいひと。
「好きなんて、どうせ嘘でしょう」
「そうだね」
「……如何して嘘を吐くの」
たぶん嘘じゃないよと言われても銀は彼を嘘吐きと罵ったはずだ。
このひとに愛されることを本能的に否定している。
彼が久しぶりに三人で食事でもしようかと提案して、兄にその旨を連絡してから三時間経過している。それが無言の兄からの拒絶なのか、〇件の受信箱はどこまでも無機質に答えを教えてはくれなかった。
愛される悦びよりも尚強く、地獄の匂いが銀を誘っている。
太宰は読みかけていた本を床に放って、こどものように枕に縋りついた。
「そういったら喜ぶかなって。喜ばないもんね、銀ちゃん」
喜べるわけもない。彼は嘘だとしても喜んでもらえれば善いと思っている、それは間違っているわけもなく、ある意味で優しい嘘もあるよねというよな人間ドラマじみていて、一種の優しさにさえ見えてくる。
「……喜んでもらいたかったのですか」
「久しぶりの再会だしね、女性の笑顔はみんな私の心を癒してくれる。君だって例外じゃない」
例外なら善かった。君は私を愛してくれる女性のひとりにすぎないと言われているようだ。
けれどそれもあながち間違いではないのだろう。
愛というものはひどく曖昧で柔らかいものだ。
枕を抱きしめる腕の先で、彼の指先が銀の手を捕らえる。何度も握っては離して、変容する粘土を練り直すように、銀の指の形を、自分の手のひらに覚えさせていた。
「君は、笑わないね」
このひとは枯葉だ。地に落ちた枯葉。留まることも出来たのに自ら散っていったささやかな肉体。
誰かと生きるくらいならひとりで死ぬことを選択する、怪物のこども。
「貴方が泣いてくれないから」
「泣くことなんてないもの」
「……ひとに、怯えている、ひとりで、生きることを恐れて」
彼は否定しなかった。それがただ唯一の肯定とも気付かず、冷たい手を銀と重ねあっている。
いっそ男と女の関係になれたら幸せなのだろうか。
肌を重ねて、涙を拭って、吐息を交えて。恋人のように愛を囁き合う。
いつか焦がれていたお伽噺の終わりに向かって、彼が何度も手を握る。
たぶん幸せにはなれない。
太宰は、この男は、しあわせを拒絶した。
自ら、枯葉となり、憐れまれる存在になり下がった。
「ひとりって如何いうことだと思う、銀ちゃん」
何度も繋がる手を解く時がくるまで彼はじっとこうしているだろう。
それは安定を求める人々よりも脆いこころが、彼を離してくれないから。
彼が枯葉なら、私は蜘蛛。
ここに留めておこうと、必死に、這い蹲る糸の集合体。
「……誰も私には気付かない状態」
「そりゃあ善い。私はそんな世界が善かったんだよ、誰にも声なんてかけられないで、言葉通り空気のような存在でいられたら、それだけで善かったんだ」
彼の手の感覚が喪われる。彼が起きあがって壁に背中をくっつけたところだった。
このひとと私を繋ぎとめておく、理由さえ喪われようとしている。
人間であることすらやめようとしている、この男を愛していたのに。
愛しているのにそれすらも望まれない、なんと惨めなことだろうか。
銀を見下ろしている太宰の手のひらが銀の頬を包む。
これが銀の指のかたち。
それを知らしめるように彼は優しげに銀の頬を撫でた。
振動した携帯の画面に兄からの連絡が表示される。直ぐ戻るという文字が銀のひと意味の奥で点滅した。
拒絶ではないのだ。銀も芥川も、この男に縛られている。
そっと目を瞑る。悪夢ような現実から逃れるために未知の領域に逃げるくらいならある意味で確立した悪夢とはさほど怖くはないのかもしれない。叶うなら眸は見開いて死にたい。
「芥川君、この様子だと二〇分で帰ってくるね。何食べたいか考えておいてよ」
私はシャワーを浴びてくるから、と何とも些末な言葉を最後に頬から手が離れていった。
何も食べたくはなかった。食慾はいつまで経っても湧かない。
兄から続いて「太宰さんは」と来たメールにシャワーを浴びに行ったと返して、携帯の電源を落とした。
ホットココアが、ひっそりと胃に溜まっている。
貴方は孤独と、私がいった。
彼が人間であることを銀が再認識したという説。
先ず確認しておきたいのが私の太銀が彼の人間性を愛す銀と彼女に価値を見出した太宰で出来ている、ということである。
兄である芥川に指導とはいっても過剰な暴力を振るい、結局彼を認めないままマフィアからいなくなってしまった太宰。銀はかつての愛情に程近い親愛は喪われ、複雑な憎悪だけが残ったことだろう。
銀は織田作の死を知っていただろうか。
織田作の死、そして太宰との関連、坂口安吾を含む三人の友情、そして決別を知っている者は少ない。
芥川は何処まで銀に話していただろうか。
若し銀に太宰が友と呼ぶ織田作の死をはじめとする諸々が彼がマフィアを抜けた理由だと知ったら、そこにまた銀は彼の人間性を、不器用な生き方を見出しはしないだろうか。
簡単に言ってしまえば太宰は友の死が悲しかったのだ。
そして友の言葉を一心に受け止め、探偵社に入った。
たぶん「人を救う側になれ」という言葉は知らないだろうが、探偵社に入った太宰が銀に何故やめたのかと聞かれたときに応えてくれる可能性もある。
困ったことに彼の不器用な友への弔いという一面を見てしまったわけである、過去の話を持ち出されただけで頬を染めるような女性がその事実を知っても彼を純粋に憎むことができるのだろうか。
知る時機がいつかは不明だが、太宰が探偵社にいると芥川が知った時点で、銀が黒蜥蜴に入った時点で(銀を黒蜥蜴に入れるように広津にお願いしたのは太宰ではないかと考えているが違っていたら恥ずかしいので小声である)いつ知ってもおかしくないのだ。
しかも六巻でのあの場面、憎んでいれば頬は染めないだろう、それまでの段階で太宰に対する憎悪は和らぎ、何処かの段階で彼の名誉を回復するだけの情報を何者かによって齎されたのだと考えたい。
しかしほろ苦い愛と憎しみの入り混じる銀に今度は敵対組織という壁がぶつかってくる。
彼は探偵社員で、銀はマフィアである。二人は関わる機会も、恋をする権利も、最早ないのである。
しかしそこは太銀クラスタの腕の見せどころである。
共同戦線を張った組織の仲で太宰が銀に復縁を迫るもあり、銀が兄に会って欲しいと太宰に迫るもよし、たまたまヨコハマで逢った銀に太宰がお茶を誘うもよし。
そして唐突に銀ちゃんをずっと気にかけていた芥川先輩に対し、彼女がもう私は大人だからと樋口さんのもとに背中を押す、最高の芥樋+太銀を思いついたのでこれフリー素材です。
気を取り直して、最後に哲学的な問いを投げかけたい。
ここまで関わりが深いのに、何故太銀は少ないのだろうか……?